伽倻、路地をたどる釜山
土の道を歩く児童、市場の売り台、鉄道沿いの職場と斜面の家々。伽倻から開琴・堂甘・凡川・凡一・安昌へ、100枚の写真で街を歩きます。
最初の街へ伽倻路 · 伽倻川 · 東義大学
道と水路が重なる街
土の道と川に沿って家や工場が立っていました。鉄道地下道、学校脇の道、大学への坂道で街の変化を比較します。
釜岩の坂道を上る
1965年、釜岩の坂道に店や家が並んでいます。車が坂を上り、人々は道の端を歩いています。看板と岩肌の間から、伽倻駅周辺の当時の道が見えます。
伽倻路の過去とその後
1968年の未舗装の伽倻路と、その後の道路を並べました。同じ道沿いに高い建物が現れています。
「その後」は比較写真のうち後の姿を指し、今日の姿ではありません。撮影時期を確認できない場合は不明と表示しています。
舗装される前の伽倻路
1968年、伽倻の鉄道地下道から釜岩方向を眺めた写真です。低い建物の間の広い未舗装道路を、車や人が通ります。通りの近くに工場の煙突も見えます。
鉄道の向こうに広がる街
伽倻路沿いにマンションや商業ビルが立ち並びます。鉄道橋の下では車線が分かれています。1968年の写真と比べると、建物の高さも道路の構成も変わっています。
工場の間を流れた伽倻川
1970年代初めの伽倻川上流付近です。掘り下がった川床のそばに工場や煙突があり、奥には小さな橋が見えます。建物と水路が近接する工業地域の様子が分かります。
高架道路と斜面の家々
伽倻川上流一帯に住宅やマンションが密集しています。画面を横切る高架道路の下にも道が続きます。低い屋根と高層建物が同じ街に並んでいます。
塀の下に集まる児童たち
1972年、伽倻機関車事務所のそばで児童たちが身をかがめています。白いシャツと濃い色のズボンが並び、奥に川と建物が見えます。学校の外で行われた共同活動の一場面です。
伽倻公園入口の過去とその後
資料集が同じ伽倻公園入口一帯と説明する二枚です。土の道と低い家から、道路やマンションの見える風景へ変わります。
「その後」は比較写真のうち後の姿を指し、今日の姿ではありません。撮影時期を確認できない場合は不明と表示しています。
伽倻公園入口に集まる人々
1972年、伽倻公園の入口付近に人々が並んでいます。土の坂道の下に低い家々が見えます。地域の環境整備が進められた頃の道と住宅地を写しています。
公園入口から見下ろす住宅地
伽倻公園入口付近にマンションや中層の建物が増えています。手前の道路と奥の斜面の住宅地を一望できます。1972年の低い屋根と比べると、街の規模の変化が分かります。
東義大学への道の過去とその後
1978年の土の道と、その後の進入路です。斜面と下方の住宅地を合わせて比較します。
「その後」は比較写真のうち後の姿を指し、今日の姿ではありません。撮影時期を確認できない場合は不明と表示しています。
東義大学へ向かう土の道
1978年、東義大学へ上る入口の様子です。人々が未舗装の広い道を歩き、下には伽倻女子中学校や住宅地が見えます。整備途中の斜面が通学路になっています。
キャンパスの道の下に広がる街
東義大学への道から建物や住宅地を見渡せます。道沿いには木々と駐車車両が並びます。1978年の写真と並べると、舗装された道と周囲の建物の変化が分かります。
川に下りて作業する人々
1980年初め、伽倻駅付近で河川の清掃が行われました。人々が浅い水や石の露出した川床に散らばっています。高い堤の下で地域の水路を手入れする様子が見えます。
伽倻川合流部の過去とその後
伽倻川と堂甘川が合流する付近の二枚です。開けた水路と、その後の道路周辺を比較できます。
「その後」は比較写真のうち後の姿を指し、今日の姿ではありません。撮影時期を確認できない場合は不明と表示しています。
二つの流れが合わさる場所
1980年代半ば、伽倻川と堂甘川が合流する付近です。川床に人が立ち、両側には塀や建物が続きます。水辺と住宅地の距離の近さが印象に残ります。
かつての水路付近に集まる車
合流部一帯が道路と建物に覆われた姿です。さまざまな方向を向く車の向こうに、低い店と高い建物が見えます。川の写真と比べると、周囲の空間の使われ方が変わっています。
大明劇場の手描き看板
1987年の伽倻洞・大明劇場前です。大きな映画看板が建物に掛かり、入口にも案内板が置かれています。青い手すりと階段が劇場前の歩行路を伝えます。
道路の下に残る水路
コンクリートの構造物の下を伽倻川の水が流れます。かがんだ人の向こうに、細い水路と住宅が見えます。上の道路からは見えにくい街の一層を写しています。
伽倻の地下道前の交差点
伽倻の鉄道地下道前で道路が分かれています。橋の下を車が通り、奥の斜面には家々が重なります。案内標識と車線が街をつなぐ交差点の役割を示しています。
伽倻小学校脇の道の過去とその後
1972年には木の柵があり、その後の写真には横断歩道が見えます。資料集が同じ学校脇の道として対にしています。
「その後」は比較写真のうち後の姿を指し、今日の姿ではありません。撮影時期を確認できない場合は不明と表示しています。
伽倻小学校の柵沿いの道
1972年、伽倻小学校の横道を人々が歩いています。木の柵と沿道の建物が細い道を形作っています。学校の境界が地域の歩行路にもなっていました。
横断歩道のある学校前
伽倻小学校沿いの道路に横断歩道と歩行空間が設けられています。黄色い車や店の看板が道沿いに見えます。1972年の土の道と木の柵の写真から、通学環境の変化が分かります。
山の下に集まる伽倻の家々
伽倻公園周辺の住宅地を上から眺めています。谷に沿って道が続き、両側に高さの違う家々が並びます。斜面と建物の配置が街の形を作っています。
鉄道沿いに残る田畑
釜岩洞から伽倻方向を眺めた風景です。鉄道施設や低い家のそばに緑の田畑が広がります。耕作地と都市の施設が隣り合う空間を一望できます。
屋根の上の水タンク
伽倻小学校から周辺の住宅を眺めた写真です。密接する建物の平らな屋上に、水タンクや手すりが見えます。大通りからは見えにくい、家の上の空間を観察できます。
開琴洞 · 冷井集落
学校から市場へ、家へ
医科大学の試験場と病院のバス、路地の写真展と市場の売り台。家の近くの学び、仕事、買い物、出会いを見つめます。
配管が見える試験会場
仁済医科大学の入学選考を記録した試験会場です。受験者が木の机に向かっています。天井の配管から、創設初期の施設の様子がうかがえます。
机を挟んだ面接
面接委員と受験者が書類の載った机を挟んで座っています。名札や紙コップが置かれています。入学選考の別の場面を間近に写しています。
入学選考時の放射線検査
入学選考の身体検査で、受験者が緑の装置の前に立っています。隣では書類を持つ人が手順を確認しています。装置の大きさと配置が当時の検査室を伝えます。
斜面に立つ釜山白病院
釜山白病院の建物に長い窓の列が続きます。手前の斜面には木々や土が見えます。大きな病院と傾斜地が接する姿を写しています。
初めての通勤バスの前で
1979年、釜山白病院の初めての通勤バスの前に人々が集まっています。大きな前面窓と丸いライトが目を引きます。病院への日々の移動を担った車両です。
開琴里の跡地に並ぶ住宅
かつて開琴里の集落があった一帯です。低い家と細い道の奥にマンションが立ちます。異なる規模の住まいが同じ地域に並んでいます。
住宅地の向こうの操車場
開琴洞の三叉路集落一帯が住宅地になった姿です。屋根の間に道路が通り、遠くに操車場が見えます。住宅と鉄道施設の近さが分かります。
家の前に並ぶ小さな鉢
2011年の開琴3洞の路地です。塀沿いに鉢が並び、門や窓が道の近くにあります。細い路地が家の内と外をつないでいます。
人一人が通るほどの路地
壁と窓の間にごく細い道が続きます。低い住宅の奥には高層マンションが見えます。2011年の開琴3洞の異なる住環境が重なっています。
路地の壁が展示場になる
2011年、開琴3洞の路地の壁に写真が並びました。展示のすぐ先には家や道路があります。地域を記録した写真が地域の中に戻った姿です。
写真を指して交わす話
住民たちが路地に展示された写真の前に立っています。一人が額を指し、別の人もそちらを見ています。写真展が出会いと会話の場になっています。
かばんを背負ってしゃがむ子どもたち
子どもたちがかばんを背負ったまま路地に集まっています。しゃがんで手を伸ばす姿を上から捉えています。通り道が遊び場にもなる一場面です。
パソコン商店街の長い通路
伽倻パソコン卸売商街の中に店が続きます。縦長の看板や電子機器が細い通路を囲んでいます。大通りとは違う屋内の商業空間です。
開琴路地市場への入口
開琴路地市場の入口に屋根と市場名が掲げられています。両側の看板や店が奥へ続きます。街路から買い物の通路へ入る境目です。
市場の通路に並ぶ食べ物
開琴路地市場の通路の両側に商品が広がります。袋入りの食品や箱の間を人が通ります。屋根の下で陳列、買い物、移動が重なっています。
冷井の泉のそばに座る人々
冷井集落の泉に屋根と柱が設けられています。その中に人が座り、奥には住宅と階段が見えます。水場が街の中の休める場所にもなっています。
冷井の店と交差点
冷井の道路沿いに店の看板が何段も並びます。電線の下を車や歩行者が通ります。建物の間で分かれる道が地域の商店街の形を示します。
堂甘川 · 工場 · 市場
工場の時間、街の時間
工場の作業台の外にバスや児童の列が続きます。川と橋、田の道と市場を巡り、さまざまな暮らしの場面に出会います。
線路と住宅の間の泰和ゴム
1971年の泰和ゴム工場と周辺地域です。長い工場屋根の奥に鉄道施設と斜面の住宅地が続きます。職場、交通施設、住まいが集まった地域の姿です。
味元工場の作業台
1965年、堂甘洞の味元工場で人々が作業台に向かっています。白い帽子や金属容器、包装材が並びます。生産の手作業と作業場の配置を記録しています。
堂甘川沿いを行くバス
1968年、堂甘川沿いの土の道にバスが止まっています。道路や川床に人が見えます。店が並ぶ水路沿いの道が、地域の移動を支えていました。
学校前の呼びかけ行列
1973年、堂甘小学校付近を児童たちが列になって歩きます。シャツ、スカート、肩掛けかばんがそれぞれ違います。学校外の活動が家々の塀沿いに続きます。
同じ場所を見上げる二人
1973年、毛虫取りに参加する堂甘小学校の児童たちです。一人が手を伸ばし、二人とも同じ場所を見て笑っています。教室の外での表情と動きが残っています。
石を積んで整える川岸
堂甘川の整備現場に石やはしごが置かれています。人々が堤の上で働き、下には積んだ石壁が見えます。川岸を整える作業の様子です。
極楽橋前に集まるバス
1982年、極楽橋周辺に複数のバスが集まっています。手前には欄干、植え込み、水をまく人が見えます。交通の場と手入れされた小さな空間が隣り合っています。
店の前に現れた城跡
1992年の東平城発掘現場のそばに店や住宅が見えます。道路より低い地面に城壁の痕跡が重なります。遺跡と暮らしの場が直接接しています。
東平城発掘地周辺の過去とその後
1992年の発掘地と、その後の同じ一帯の住宅地です。空地と建物の配置を中心に比較します。
「その後」は比較写真のうち後の姿を指し、今日の姿ではありません。撮影時期を確認できない場合は不明と表示しています。
発掘地と路地を一望する
1992年の東平城発掘地を上から眺めています。露出した土地を小さな家や路地が囲みます。発掘地を包む住宅地の形も見える写真です。
家々に囲まれた東平城周辺
東平城跡周辺に建物や屋根が密集しています。遠くの山の下にはマンションが並びます。1992年の写真と比べると、空地と周辺住宅地の変化が分かります。
堂甘洞の田の道の過去とその後
資料集が婚礼行列の田の道とマンションのある一帯を対応させています。旧道の細かな位置は原文でも推定です。
「その後」は比較写真のうち後の姿を指し、今日の姿ではありません。撮影時期を確認できない場合は不明と表示しています。
田の道を進む婚礼の行列
1965年、堂甘洞の田の道を婚礼の行列が進みます。人々が贈り物を運んでいます。資料集は現在の開成高校下方の道と推定しています。
田畑のあった場所のマンション
資料集が婚礼行列の写真と対にした一帯の姿です。斜面上にマンションが立ち、その下にも建物が見えます。二枚から土地利用の変化を読み取れます。
極楽橋周辺の過去とその後
資料集の比較矢印で結ばれた旧橋と、その後の道路です。どちらも個別の撮影時期が明記されていません。
「その後」は比較写真のうち後の姿を指し、今日の姿ではありません。撮影時期を確認できない場合は不明と表示しています。
川を渡る小さな橋
極楽橋付近の小さな橋が川を渡っています。丸い穴のある欄干の奥に家が立っています。水路と暮らしの空間が近く重なっています。
橋の周辺から道路の交差点へ
かつての極楽橋周辺に道路と店が続きます。車線や横断歩道の上に看板が重なっています。橋の写真と比べると、水路周辺の空間の変化が分かります。
バスの間で交通を整理する
堂甘洞のバス停周辺にバスが集まっています。道路の中央には人や自転車が見えます。大きな車両が集まる交差点を建物が囲んでいます。
低い屋根の向こうに続く街
堂甘洞の低い住宅と斜面を見下ろしています。屋根の間を道が通り、その先に広い市街地が続きます。山裾から平地へ続く住まいの重なりが見えます。
パラソルの下の堂甘市場
堂甘市場の入口にパラソルと売り台が並びます。薬局や店の看板の間に市場の道が続きます。店舗と路上の販売空間が一つの風景を作っています。
細い市場の道ですれ違う
堂甘市場の中を人々が売り台の間を通っていきます。赤い天幕の下に商品と照明が集まります。細い通路で売り手と買い手の動線が交わります。
家のすぐ下を流れる水
釜田川と堂甘川の合流付近で、家々が水辺に並びます。低い屋根の下に石や草、水の流れが見えます。水路が住宅地の縁になっています。
鉄道工場 · 凡内谷 · 虎溪川
線路と水路の間の暮らし
鉄道施設のそばの家、学校へ渡る飛び石、市場の上の住宅。同じ空間を異なる高さから眺めます。
運動場を造る野原
1940年、釜山鎮小学校の運動場造成の記録です。広い土地で人々が働き、奥には山と低い建物が見えます。学校空間が整う前の地形も残されています。
子どもたちの背後に広がる鉄道工場
1952年、凡川洞の山裾に子どもと大人が座っています。背後に鉄道工場の長い屋根と田浦洞一帯が広がります。近くの人物と遠くの産業施設が同じ画面に入ります。
鉄骨越しの鉄道工場
1954年の凡川洞の鉄道工場です。鉄骨や屋根の間に線路と作業空間が続きます。山を背景に施設の構造を観察できます。
学校前の鉄橋を架ける人々
1962年、釜山鎮小学校前の鉄橋工事です。人々が細い鉄骨の上に立ち、下には川が見えます。水路を渡る道が造られる過程を写しています。
凡内谷交差点の過去とその後
1970年代初めと2010年の同じ交差点です。道路の方向を手掛かりに、周辺建物の高さや密度を比較できます。
「その後」は比較写真のうち後の姿を指し、今日の姿ではありません。撮影時期を確認できない場合は不明と表示しています。
低い屋根に囲まれた凡内谷
1970年代初め、凡内谷交差点を上から撮った写真です。広い道路の両側を低い屋根や工場が埋めています。道の線から市街地の構成が分かります。
2010年の凡内谷交差点
2010年の凡内谷交差点周辺には高い建物が並びます。車線や交通島がはっきり見えます。1970年代初めと比べると、道沿いの建物の高さが変わっています。
交差点の中央での工事
凡内谷交差点の中央で花壇を造成しています。土の露出した場所にトラックや掘削機械が集まっています。工事区間の外を車が通っています。
飛び石を渡る通学路
児童たちが石を踏んで川を渡っています。水辺に大人と子どもが間隔を空けて続きます。飛び石が通学路の一部になっています。
虎溪川のアーチ橋の下
虎溪川のアーチ橋の下を水が流れます。石壁の上に住宅や手すりが近接しています。細い水路と建物の関係がよく分かります。
新岩路を下る道
凡川洞の新岩路に車線と街路樹が続きます。バスや車、店が道沿いに見えます。坂道が住宅地と商業空間をつないでいます。
整備施設の2001号機関車
凡川洞の車両整備施設にディーゼル機関車2001号が停車しています。手すりや車輪、線路を間近に見られます。車両の姿から地域の鉄道史に触れられます。
中央市場の屋上の集落
中央市場の建物の上に低い住居が続きます。長い屋根の下に窓や扉が並びます。市場の上階が別の生活空間になっています。
屋上集落の細い通路
中央市場の屋上の家々の間に通路があります。窓や手すり、鉢が道の近くに並びます。高い場所にも小さな路地の風景が続いています。
丸星社宅の間の路地
丸星社宅の壁が近い距離で向かい合っています。れんがや窓、路面の蓋が繰り返し並びます。建物の細い隙間が日常の通路になっています。
凡内谷入口の曲がり道
凡内谷入口の道路をバイクや車が通ります。道端に人が立ち、背後の斜面に家々が続きます。谷の入口から住宅地へ向かう道です。
凡一洞 · 釜山鎮市場付近 · 佐川洞
市場と劇場の前で
店先の商品と共同水道の桶、宝林劇場の大看板に目を留めます。周囲の通りへ範囲を広げ、商いと移動、余暇の風景を見ます。
店先に積まれた生活用品
1952年、釜山鎮市場の向かいの店先です。金属の器やバケツ、つるした道具が道路側に並びます。人と品物が近く接する商いの風景です。
戸口でリンゴを持つ子
1952年、凡一洞の家の戸口に子どもが座っています。両手でリンゴを持ち、カメラに笑顔を向けています。顔に当たる日差しと暗い室内が対照的です。
韓服と制服が行き交う通り
1953年、凡一洞で制服の学生と韓服姿の人々がすれ違います。背景に店のガラス戸や看板が見えます。異なる装いと歩みが一つの通りを満たしています。
米屋の戸口の人々
1953年、凡一洞の米屋の前に人々と穀物があります。ひしゃくや積んだ袋が売り場を示します。戸口が仕事場であり、腰掛ける場所にもなっています。
共同水道に並ぶ水桶
1964年、凡一洞の共同水道の周りに水桶が長く並びます。人々が桶や水道のそばで待っています。家へ水を運ぶ暮らしを上から捉えています。
佐川洞の交差点を渡る人々
1967年、佐川洞のテレサ女子高校前の交差点です。横断する人の奥に建物や車が見えます。近くの手すりと濃い影が通りに奥行きを作っています。
宝林劇場の過去とその後
1969年と1978年の宝林劇場の正面です。壁や入口を基準に、映画看板の変化を比較します。
「その後」は比較写真のうち後の姿を指し、今日の姿ではありません。撮影時期を確認できない場合は不明と表示しています。
1969年の宝林劇場の映画看板
1969年、宝林劇場の壁を大きな映画看板が埋めています。その下を人々が通ります。小さな案内文と建物ほどの絵が観客に呼びかけています。
九年後の同じ劇場前
1978年の宝林劇場には別の映画看板が掛かっています。広い壁の下に入口や切符売り場が見えます。1969年と並べると看板の構成の変化が分かります。
劇場前に集まる観客
1970年代、宝林劇場前に多くの人が集まっています。人物写真の看板の下に列と階段が続きます。劇場が人々の集まる場所だったことを伝えます。
バスに掲げられた労働者の要求
1993年、凡一洞の三和ゴム争議現場のバスです。車体に未払い賃金を求める横断幕が掛かっています。日常の車両が労働者の訴えを街に伝えています。
凡川洞と凡一洞の間の谷
斜面に沿って続く家々
道を整える住民から屋上の椅子、門脇の表札まで。広い風景の中の一軒の家、一つの曲がり角を近くから見ます。
1980年代の安昌の屋根
1980年代、安昌の住宅が斜面に集まっています。薄い屋根と家々の隙間が繰り返し見えます。谷の形に沿って住まいが広がっています。
集落へ入る道を広げる
1980年代初め、安昌への進入路工事です。未舗装の道の端に石が置かれ、人々が働いています。斜面の道を広げて整える過程です。
シャベルを手に集まる住民
安昌の住民が土の道に集まり、シャベルで作業しています。働く人々の背後に低い屋根が続きます。集落の道を共同で整える一場面です。
安昌集落の過去とその後
異なる位置から撮った1989年と2005年の安昌です。同じ集落の屋根や周辺建物の変化を見比べます。
「その後」は比較写真のうち後の姿を指し、今日の姿ではありません。撮影時期を確認できない場合は不明と表示しています。
1989年、斜面を埋める家々
1989年、安昌の家々が階段状に斜面を埋めています。手前の枝の向こうに屋根や塀、小さな空地が見えます。家々の高さが谷の深さを伝えます。
2005年、青い屋根が続く集落
2005年の安昌には青い屋根が広がります。家々の奥に高いマンションが一棟見えます。1989年と比べると、屋根の色や周辺建物の変化が分かります。
鴨料理の看板が続く路地
安昌の路地に鴨料理店の看板が並びます。低い建物の間で道が曲がり、入口が道路に近接します。住宅地の中に飲食店が集まっています。
家の前で一緒に写る
安昌の家の前で大人と子どもがカメラを見ています。裸足でしゃがむ子の横に木の根が見えます。洗濯物と土の道も写り、日常の周囲が残っています。
路地の中央に立つ住民
安昌の低い家の前に一人が立っています。青い屋根の下に門や鉢が続きます。道と家の入口が近い生活空間です。
学士酒場の看板があった道
安昌の細い道に「学士酒場」の看板が掛かっています。低い塀や扉が路地に沿って続きます。小さな酒場と住居が近接する街の姿です。
屋上の椅子に座る人
安昌の屋上で住民が小さな椅子に座っています。鉢や水容器の向こうに隣家の屋根が見えます。屋上が集落を眺めながら過ごす場所になっています。
青い家の上の青い水タンク
安昌の青い家の上に水タンクがあります。窓には格子が付き、隣の塀が近接しています。外壁と設備から住まいの実用的な工夫が見えます。
壁に描かれた橋
安昌の長い壁面に橋が描かれています。青い地の線が窓や扉の間を通ります。絵が生活する建物の表面に広がっています。
塀の角を曲がって
安昌の路地が低い塀の間で曲がります。つる草や窓、色の違う家が小さな空間に集まります。曲がり角が見えない先へ視線を誘います。
家々の間を下る階段
住宅の間の階段の向こうに安昌の青い屋根が広がります。電線や手すりが異なる高さを横切ります。斜面に合わせて道が重なる集落の構造が見えます。
色の違う家々が集まる
安昌の斜面の家々を近くから見た写真です。青や緑、灰色の屋根の間に小さな窓が見えます。遠景では一塊に見える家を一軒ずつ観察できます。
塀と屋根の間の一本道
安昌の明るい塀の下に細い道が続きます。隣家の屋根が道とほぼ同じ高さにあります。斜面で家と歩行路の高さがずれる様子が分かります。
路地のトバギ店
安昌のトバギ店に看板と花の絵があります。屋根に水タンク、入口の横にははしごが見えます。小さな店に商いと暮らしの道具が集まっています。
門の横の陶製表札
安昌の紫色の門の横に陶製の表札があります。立体的な花と数字が壁を飾ります。家を示す小さな標識が路地の表情にもなっています。